こんばんは。結局、お天気のすっきりしない週末でしたね。
せっかくの桜も、この寒さの中散り始めて・・・なんだか寂しいです。
散りゆく桜を惜しみつつ、後少し桜を楽しみたいと思います。

さて、えーと・・・今日は、ブログ・・・ちょっと手を抜いてもいいですか?(笑)

いや、手を抜くというか。今日は、私が心をうたれた詩をご紹介したいと思います。と、いっても有名な詩のようなので、すでにご存じの方も多いと思います。ネットを検索してもいろんな人たちがこの詩を子育てと絡めて紹介しています。
私は、知らなかったんですけど。。。(^^;

妊娠して10か月間。お腹の中にいた時が、一番息子と私が近かった時でした。(ていうか、文字通り一心同体)
出産と同時に、私と息子の距離はすごい勢いで離れていくなぁ・・・と思っていました。
そして、その距離は離れることはあっても、もう縮まることはないのだという感覚がありました。
私は、この詩を読んでその感覚がどういうことであるのかを、改めて認識しました。ああ、こういうことだ。と。

とはいえ、詩の感じ方は人それぞれ。
あれこれ解説しようとするなんて、野暮ですよね。
みなさんはこの詩を読んでどんな風に感じられるのでしょうか。

 

レバノン人の詩人 ハリール・ジブラーンの詩

「こどもについて」

あなたの子どもは、あなたの子どもではありません。
彼らは生命そのものが望んだ息子や娘なのです。
あなたを通ってやって来ますが、あなたからやって来るのではありません。
あなたといっしょにいますが、あなたのものではないのです。
子どもに愛を注いでもよいでしょう。でも、考えを与えてはいけません。
子どもには子どもの考えがあるからです。
あなたの家に子どもを住まわせてもよいでしょう。
でも、その魂を住まわせてはいけません。
子どもの魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢の中でさえ、そこに立ち入ることができないからです。
子どものようになろうと努めてもよいでしょう。
でも、子どもをあなたのようにしようとしてはいけません。
生命は後戻りせず、昨日とともにとどまってもいないからです。
あなたは弓です。
その弓から、子どもは生きた矢となって放たれます。
射手は果てしなく続く道にある的を見つめ、矢がすばやく、遠くへと飛んでいけるように、力いっぱいあなたをしならせます。
射手の手の中でしなることを喜びましょう。
なぜなら、射手が、飛んでいく矢を愛しているなら、同じようにとどまる弓も愛しているのですから。

 

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