昨日のブログを少し引っ張ってみます。

息子に足りなかったものは「コミュニケーションだ」と言ったのですが、そもそもコミュニケーションってなんだろうということを、あそビートを立ち上げる時何回も話し合いました。

コミュニケーション能力ってなんだ?と。

1.親たちが考える、いずれ社会に出ていく子どもたちに身に付けて欲しい力とは

あそビートのプログラムを考える時、100人を超えるいろんな方々にアンケートに答えていただき、「社会に出るまでにお子さんに身に付けて欲しい能力はなんですか?」と聞いたら、実に7割以上の方が

・他人と協働することが出来る力
・自分の伝えたいことを正確に伝える力
・思いやり

この3つがあげられました。

そして、この3つが身に付いているこということは・・・結局、コミュニケーション能力が高いということなんではないか?という方向に話がまとまったのです。

辞書的な意味でコミュニケーションを調べると、実に本当にたくさんの定義が出てきます。
辞書によっても当然ですが様々です。その中で『世界大百科事典 第2版』からコミュニケーションの定義が語源も含めてちょっといいなと思ったので抜粋します。

もともとは〈ある所(の生物や無生物)から別の所(の生物や無生物)へエネルギー,物体,生物,情報などが移動し,その移動を通じて移動の両端に,ある種の共通性,等質性が生じること〉をいう。
ただし普通には〈人(送り手)から人(受け手)への情報の移動〉,もしくはその移動の結果生じた〈心のふれ合い〉〈共通理解〉〈共同関係〉などを指すことが多い。

【用語と範囲】
communicationの語根はラテン語のcommunisで,〈共有の〉とか〈共通の〉〈一般の〉〈公共の〉というような意味をもつが,〈コミュニケーション〉にぴったり相当する日本語はなく,使われている文脈に応じて用語が選ばれる。

2.「コミュニケーション」は文脈によって異なる意味を持つ

だから、コミュニケーションという言葉を使った時、その時その時に応じていろんな日本語が使われるわけだ。なるほど。と、納得しました。単に「情報伝達」っていう意味でつかわれることもあるし、「心と心の触れ合い」の意味でつかわれることもありますよね。

エネルギーを移動させ、その両端に共通性、等質性を生じさせる・・・っていうのがなんかしっくりきます。

つまり、両端(まぁ、多くは人と人同志ですよね)に「共通性」「等質性」が生まれてないとコミュニケーションではないし、それが上手くいってなければ「他人と協働作業はできない」し「自分の言いたことも伝わらない」わけです。
そして、それが成立するとき、そこには相手に対する配慮や敬意・・・つまり「思いやり」が絶対あるはずだ。と。

私たちの考えるコミュニケーションはTEDのようなプレゼンテーションスキルのことではありませんし、他人を論破するようなスキルではありません。

もっともっと、人と人とのつながりの根っこの部分。
そのコミュニケーションに焦点を当てています。

自分のことを分かってもらうとする努力。
相手が何を伝えたいと思っているのか理解しようとする優しさ。
1人として同じ人間はいないからこその、コミュニケーションの難しさ。それを乗り越えるための「人間力」みたいなことです。

詰まる所、それが人生においてぶつかるいろんな問題を解決していく…究極の課題解決能力なのではないか?というところにいきあたりました。

本来子どもたちはそれを「遊び」の中から身に付けていくのだと思っています。もっともっとたくさん「よく遊び、よく学べ」子どもたち!!

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